フランスの歴史2

カペー朝
987〜
1328年

 

 

 

 

 

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 987年、カロリング朝のルイ5世が亡くなると、パリ伯ユーグ・カペー(Hugues Capet)が国王に推挙されカペー朝を開いた。カペー朝はパリ周辺を統治するだけの弱小国家だったが、徐々に勢力を拡大していった。

初代
ユーグ・カペー
987年、フランス王に即位
第6代
ルイ7世
第2回十字軍に参加。イングランドのヘンリー2世と争う
第7代
フィリップ2世
第3回十字軍に参加。フランス南部に広大な領地を持つプランタジネット家を破り王権を強化した。また、アルビジョア十字軍により、フランス南東部を支配した。
第9代
ルイ9世
熱心なキリスト教王。第7/8回十字軍に参加するが失敗。死後カトリック教会より列聖され、聖ルイ(SaintLouis)となる。アメリカの都市セント・ルイスの語源
第11代
フィリップ4世

ローマ教皇と対立し、三部会を開催。アナーニ事件で教皇を幽閉し、教皇庁をアヴィニョンに移転した。また、テンプル騎士団を異端として解体した。

第15代
シャルル4世

カペー朝最後のフランス王。在位:1322〜1328年



十字軍の要塞内部(イスラエルのアッコ)

ヴァロワ朝
1328〜
1589年

 

 

 

 

 

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 カペー朝の断絶後、カペー家の遠縁ヴァロワ家のフィリップ6世が即位しヴァロワ朝(dynastie des Valois)を開いた。この王朝はイングランドとの百年戦争(1337〜1453年)に苦しんだ。この長期にわたる戦争で封建諸侯は没落し、王権が強化された。

 百年戦争後の1494年、7代目のシャルル8世はナポリ王国の継承権を主張してイタリアに侵入し、イタリア戦争が始まった。翌年にはナポリを占領してナポリ王となるが 、ヴェネツィアやローマ教皇、神聖ローマ帝国などの同盟軍に包囲され、フランスに逃げ帰った。これ以後、ハプスブルク家とフランス王家の対立が続く。

 16世紀後半になると、ユグノー戦争が始まり、1572年にはサン・バルテルミの虐殺がおこった。1589年に13代アンリ3世が暗殺され、ヴァロワ朝は断絶した。



ジャンヌダルクがシャルル7世に謁見したシノン城

ブルボン朝
1589〜
1792年

 1589年、ユグノー戦争におけるカルヴァン派側の首領であったナバラ王アンリが、フランス王アンリ4世として即位し、ブルボン朝が始まった。アンリは、政情を安定させるためカトリックに改宗した。そして、1598年にナントの勅令を発布し、プロテスタントの権利を認めた。これにより、30年以上続いたユグノー戦争は収束、国家は統一された。しかし、1610年に狂信的カトリック教徒の凶刃に倒れた。

 次にルイ13世が即位、摂政リシュリューの政策によって、絶対主義体制が強化されていった。またドイツで起こった30年戦争にも介入した。

 続いて太陽王ルイ14世が登場する。彼はヨーロッパの覇権を目指してたびたび侵略戦争を起こしたが、成果は少なかった。また、ヴェルサイユ宮殿を建設し、一流の芸術家や文人を集めた。晩年はスペインの王位継承をめぐって各国と戦った。表面は華やかだった太陽王の治世も、相次ぐ戦争のため軍事費が増大し、経済は混乱した。さらにナントの勅令を廃止したため、新教徒はヨーロッパ各国や新大陸に逃れた。この結果、フランス資本が海外に流出することになった。アメリカのルイジアナという地名はルイ14世にちなんで命名された。また、ルイジアナ州最大の町ニューオーリンズは新オルレアンという意味のフランス語に由来している。

 ルイ14世の後を継いだルイ15世も、オーストリア継承戦争などの対外戦争の軍事費を重税で賄った。こうしてフランス革命の遠因が作られていった。


太陽王ルイ14世(ベルサイユ宮殿)
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【参考資料】