アフリカ諸国の独立
アフリカ諸国の独立

 15世紀になるとポルトガルはインド航路を開拓するためアフリカ西海岸を南下し、各地に交易所(城塞)を築いた。そこでは象牙や金などが友好的に取引された。やがて金に代わって利益が大きい奴隷が貿易の中心になった。オランダやイギリス、フランスがギニア湾に進出し、大西洋を越えて新大陸に奴隷を送り込む大西洋奴隷貿易が始まった。アフリカから連れ出された奴隷は1200万人以上といわれている。19世紀になると奴隷貿易は禁止されたが、アフリカ内陸の探検が進み、ヨーロッパ列強は沿岸部から内陸部に押し入って領土を切り取り始めた。

 ヨーロッパ列強は無秩序にアフリカの領土争奪を行ったが、国家間の争いを避けるためベルリン会議が開かれた(1884年)。その結果、アフリカはヨーロッパのわずか7か国によって分割された。独立を保てた国は、エチオピアリベリアの2か国だけだった。第一次世界大戦後ににエジプトが独立し、第二次世界大戦後にリビア、スーダン、モロッコ、チュニジアなど北アフリカ諸国が独立した。1960年代にほとんどの国が独立し、特に1960年には17か国が一斉に独立した。1960年はアフリカの年と呼ばれている。

 独立が遅れたのは、ポルトガルの植民地だった。1974年にポルトガルの独裁政権が倒れると、ギニアビサウ、アンゴラ、モザンビーク、カーボベルデ、サントメ・プリンシペが次々と独立した。

 アフリカ諸国は独立を達成したが、多くの国が政治的に不安定で、独裁政治や内戦などの問題を抱えている。その原因は、植民地時代に民族や宗教を考慮せずに国境線を引いたため、独立後に国境紛争や部族紛争が頻発したことや、経済基盤が脆弱であるため貧困などの多くの問題を抱えていることがあげられる。

 アフリカ諸国の統一と連帯を促進するため、1963年にアフリカ統一機構が発足し、2002年にアフリカ連合(AU)に発展した。アフリカ連合は2028年までに統一通貨アフロを導入し、アフリカ経済共同体(AEC)の創設を目指している。

北アフリカ













アフリカ地図









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索引



各国の歴史

 エジプトではエジプト文明が、その西のマグリブ地方(Maghreb:日の没する所)では、カルタゴが栄えた。やがてローマ帝国がカルタゴやエジプトを滅ぼし、北アフリカを支配した。5世紀になるとローマは衰退し、ゲルマン人の一派がチュニジアにヴァンダル王国を建国した。それから100年後、ローマ帝国の復興を目指す東ローマ帝国ユスティニアヌス帝がゲルマン人を追い出し、北アフリカをローマの手に取り戻した。チュニジアにはカルタゴの遺跡、リビアにはローマ時代のレプティス・マグナの遺跡が残っている。


チュニジアのローマ遺跡(ドッガ)

 さらに100年経った639年にイスラム軍がエジプトに来襲し、またたく間にマグリブを席巻した。北アフリカはイスラム王朝の時代になり、エジプトのアイユーブ朝のサラディン十字軍と戦ってエルサレムを奪還した。また、モロッコのムラービト朝ムワッヒド朝はイベリア半島に遠征してスペイン王朝と戦いスペイン南部(アル・アンダルス)にまで勢力を拡大した。

 16世紀になると東ローマ帝国を滅ぼしたオスマン帝国が北アフリカを支配した。そのオスマン帝国も19世紀には衰退し、イギリス、フランス、イタリアなどのヨーロッパ列強が北アフリカを侵略した。

エジプト
(Egypt)
1.古代エジプト
2.ローマの支配
3.エジプトのイスラム化
4.アイユーブ朝(十字軍との闘い)、マムルーク朝
5.オスマン帝国の支配ムハンマド・アリー朝
6.ナポレオンのエジプト侵攻
7.スエズ運河エジプトの独立
リビア
(Libya)
1911年の伊土戦争の結果、リビアはイタリアの植民地になった。第2次世界大戦後に英仏の共同統治領になり、1951年にリビア王国として独立した。1969年に27歳のカダフィがクーデター起こしリビア・アラブ共和国となった。2011年の内戦でカダフィは殺害され、42年続いたカダフィ政権は崩壊した。
チュニジア
(Tunusia)
1705年にフサイン朝がオスマン帝国から独立した。ベルリン会議でフランスの宗主権が認められた(1881年)。1956年にチュニジア王国として独立し、翌年に王政を廃止してチュニジア共和国となった。
アルジェリア
(Algeria)
1830年、フランスのシャルル10世がアルジェリアに侵攻して植民地にした。フランスの統治は130年続いた。1954年、アルジェリア民族解放戦線が蜂起し、独立戦争(アルジェリア戦争)が始まった。フランスは10万人を超える軍隊を派遣したが鎮圧できず、1962年に独立した。独立戦争による死者は100万人に達したといわれている。
モロッコ
(Morocco)
1056年にベルベル人がムラービト朝を建国した。この王朝はサハラ南部に遠征してガーナ王国を滅ぼし、さらにイベリア半島に進出してアル・アンダルスを支配する大帝国を作った。1130年にムラービト朝に代わってムワッヒド朝がモロッコを支配、イベリア半島に進出してスペインを支配するがラス・ナバス・デ・トロサの戦いで敗れ撤退した。13世紀以降いくつかの王朝が興隆し、16世紀にはオスマン帝国の侵攻を退けて独立を守った。19世紀になるとヨーロッパ列強が押し寄せてきた。1859年のスペイン・モロッコ戦争に敗れてテトゥアンを割譲、1904年にフランスの植民地になった。1956年に立憲君主制のモロッコ王国として独立した。
西サハラ
(Western Sahara)
 1884年にスペインの保護領になる。1978年にスペインが領有権を放棄すると西サハラ民族解放戦線サハラ・アラブ民主共和国の独立を宣言した。しかし、モロッコも領有権を主張し、両者は現在も領有権を争っている。モロッコは国土の2/3を実効支配し、サハラ・アラブ民主共和国はアルジェリアに亡命政府を作った。両者の間は砂の壁で仕切られている。
紅海沿岸

















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 ナイル川は、ヴィクトリア湖から流れてくる白ナイルとエチオピアのタナ湖からの青ナイルが、スーダンの首都ハルツームで合流しエジプトに流れ込んでいる。ナイル川上流のこの地域は、かってヌビア(Nubia)と呼ばれ、古代エジプトの影響を強く受けた。

 スーダンではBC2200年頃に黒人最古の王国クシュ王国が繁栄した。クシュ王国はエジプトのトトメス1世の侵略を受けるがBC900年頃に再興し、今度はエジプトに攻め込んで第25王朝を興した。5世紀にキリスト教が伝わり、以後1000年近くキリスト教の王朝が続いた。16世紀にイスラム王朝がうまれ、スーダンのイスラム化が進んだ。

 エチオピアはソロモンシバの女王の子メネリクの子孫がBC5世紀頃にアクスム王国(Aksum)を建国した。320年頃にキリスト教を受容し、キリスト教国となった。

 1869年にスエズ運河が開通すると、紅海沿岸のエチオピア領だったエリトリアソマリアジブチを、イギリス、フランス、イタリアが進出して植民地にした。これらの地域は第2次世界大戦後に独立した。


イタリア・エチオピア戦争(アドアの戦い) 大英博物館

スーダン
(Sudan)
5世紀から1000年にわたってキリスト教王朝が続いた。16世紀にイスラム王朝ができるとキリスト教勢力は消滅した。1820年、エジプトのムハンマド・アリーがスーダンを支配した。これに対して宗教家ムハンマド・アフマドが自らをマフディー(救世主)であると宣言し反乱を起こした(マフディー戦争 1881年)。マフディーは17年間スーダンを支配したが、エジプトとイギリスが鎮圧し、北部をエジプトが、南部をイギリスが支配した(1898年)。第2次大戦後、エジプトはスーダンの併合を要求したがイギリスは拒否、1956年にスーダン共和国が誕生した。
南スーダン
(Republic of South Sudan)
スーダンは独立直後から、北部のイスラム勢力と南部のキリスト教勢力が争い内戦になった。内戦は1972年に収束し、南部の分離独立を問う住民投票を行うことになった。ところが南部で油田が発見されると、その約束は反古にされ再び内戦が始まった(1983年)。2011年にようやく住民投票が行われ、圧倒的多数で南スーダン共和国の分離独立が決った。
エチオピア
(Ethiopia)
アクスム王国は7世紀頃にアラビア半島との交易が断たれ衰退した。1270年、イクノ・アムラクが王国を再興しエチオピア帝国(ソロモン朝)ができた。16世紀以降には諸侯が乱立して乱れたが、1855年にテオドロス2世が再統一し、近代化を進めた。次のメネリク2世の時代にイタリアの侵略を受けエリトリアを割譲した(1889年)。1896年に再度のイタリアの侵略を受けるがアドワの戦いで撃退し独立を保った。その後、ムッソリーニに支配されるが(1936〜1942年)、第2次世界大戦中に独立を回復した。
エリトリア
(Eritrea)
スエズ運河が開通すると、イタリアはエチオピアに介入しエリトリアを植民地にした(1889年)。第二次世界大戦後エリトリアはエチオピアに返還されたが、1960年頃から独立戦争が始まり、30年におよぶ内乱の末に独立した(1993年)。
ジブチ
(Djibouti)
エチオピアはイタリアに対抗するためフランスの支援を受け、その代わりにジブチを割譲しフランス領ソマリランドができた(1896年)。第2次世界大戦後もフランスの支配は続いたが、1977年の住民投票で独立した。
ソマリア
(Somalia)
アフリカの角と呼ばれるソマリアは、19世紀末にイギリスが紅海出口の北部を、イタリアがインド洋に面した南部を領有した。1960年に両地域が合併してソマリア共和国ができたが、1991年に内戦となり、旧イギリス領のソマリランド、旧イタリア領北部のプントランド、南西部の南西ソマリアに分裂した。2012年にソマリア連邦共和国として統一の動きが始まったが今も未解決である。
サヘル地域









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索引


各国の歴史

 サヘルとはアラビア語のサーヒル(周辺、岸辺)に由来し、サハラ砂漠を海にたとえてその南側の岸辺をサヘル地域という。8〜11世紀にかけてガーナ王国が栄え、13世紀にはマリ王国が栄えた。マリ王国の9代目の王マンサ・ムーサは、大量の金と500人の奴隷を引き連れてメッカ巡礼を行った。大旅行家のイブン・バットゥータもマリを訪れている。

 15世紀にマリ王国が衰退するとソンガイ王国が勢力を拡大した。この王国は、砂漠の中にある岩塩鉱山の権益をめぐってモロッコと争った。モロッコ軍はグラナダの陥落でスペインから逃れてきた数千の兵士に鉄砲を持たせ、数万のソンガイ騎馬隊を撃破したといわれている(アフリカの長篠の戦い)。19世紀後半、サヘル地域にフランスが進出し、フランス領西アフリカとして統治した。


マリ帝国、ソンガイ帝国時代に繁栄した黄金の都トンブクトゥ

モーリタニア
(Mauritania)
古くはガーナ王国やマリ王国、ソンガイ王国が栄えた。19世紀末にセネガルを植民地にしたフランスが進出し、1904年に植民地になった。1960年に独立(モーリタニア・イスラム共和国)。国名はモール人(北アフリカのイスラム教徒、ムーア人)に由来。日本ではモーリタニア産のタコが有名。
セネガル
(Senegal)
1444年にポルトガルがヴェルデ岬に来航し、続いてオランダ、イギリス、フランスが進出した。フランスは1659年に北部のサン・ルイに商館を建設して勢力を拡大し、ウィーン会議でフランスの植民地と認められた(1815年)。1960年に独立、首都はヴェルデ岬にあるダカール。独立以来一度も政情不安にならずクーデターも経験していない。
マリ
(Mali)
16世紀末にソンガイ王国が滅亡すると、多くの小王国が乱立した。1880年にフランスの植民地になり1960年に独立した。最大の輸出品は金。
ブルキナファソ
(Burkina Faso)
1898年にフランスの植民地となった。1960年にオートボルタ共和国として独立し、1984年のクーデターで国名をブルキナファソ(Burkina:高潔な人々、Faso:祖国)に変更した。最近多くの金鉱が見つかっている。
ニジェール
(Niger)
15世紀にゾンガイ王国が栄えたが、ソンガイ帝国の滅亡後は小王国が乱立した。1898年にフランス領となり、1960年に独立した。ウランは世界第3位の埋蔵量を誇り、ウランの輸出が経済の柱となっている。ニジェールとは大河という意味。
チャド(Chad) 1900年にフランスが植民地とし、1960年に独立した。内戦が続き政治は不安定である。おもな輸出品は石油。
西アフリカ










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 アフリカ西海岸地域は、大航海時代を先駆けたポルトガルが進出した。ポルトガルは1415年にモロッコのセウタを占領、そこを拠点にアフリカ西海岸を南下し、1441年に西サハラのリオ・デ・オロ(現在のダフラ)に到達、そこでアフリカ人を捕らえ本国に連れ帰った。これが黒人奴隷貿易の始まりといわれている。1445年にはアフリカ最西端ヴェルデ岬(セネガル)に、1460年にシエラレオネに、1488年に喜望峰に到達した。そして、1498年にインド洋を横断してインド西岸に到達した。

 1482年にポルトガルは奴隷貿易の拠点としてガーナにエルミナ要塞を築き、奴隷貿易を独占した。この頃の奴隷の送り先はヨーロッパだった。17世紀になると、オランダ、フランス、イギリスがギニア湾に進出し、労働力不足になった新大陸に大量の奴隷を送り込むようになった。

 奴隷貿易は次のような三角貿易(Triangular trade)といわれる形態で行われた。ヨーロッパの金属製品や鉄砲をアフリカに持ち込んで奴隷と交換し、奴隷を新大陸の大規模農園に送り込み、農園で作られた砂糖や綿花などの作物をヨーロッパに持ち帰った。奴隷は武器を手にした部族が、対立する部族に奴隷狩りを仕掛けて調達された。このことは現在のアフリカでの深刻な部族対立の一因になっている。

 奴隷たちは、頭を剃られ、所有者の焼印を押され、足に鎖をつけられて船倉にぎっしり詰め込まれ、40〜70日の航海の後、新大陸で売り飛ばされた。黒人は人種的に劣っているとしてその人権は無視された。19世紀に入ると人道的な立場から奴隷貿易や奴隷制度に対する批判が強まり、イギリスは1807年に奴隷貿易を禁止、1833年に奴隷制度を廃止した。アメリカは1863年にリンカーンが奴隷解放宣言を行った。

 ギニア湾沿岸地域は、かって胡椒海岸(リベリア)、象牙海岸(コートジボワール)、黄金海岸(ガーナ)、奴隷海岸(トーゴ、ベナン)と呼ばれていた。現在はこれらの名称は使われていない。


エルミナ要塞(ガーナ)

ガンビア
(Gambia)
ポルトガルに続いてイギリスとフランスが進出し、アメリカ独立戦争後のパリ条約でイギリスの植民地となった(1783年)。1965年に独立。
ギニアビサウ
(Guinea-Bissau)
1446年にポルトガルの植民地となり、奴隷貿易の拠点ビサウが建設された。1963年に独立戦争が始まり、1974年に独立した。
ギニア
(Guinea)
1890年にフランスの植民地になり、1958年の国民投票でギニア共和国として独立した。これにフランスは反発し、フランス人の職員や技術者を引き揚げさせたためギニアの行政は麻痺した。鉱物資源が豊富で、ボーキサイトの埋蔵量は世界の約3分の1を占めている。
シエラレオネ
(Sierra Leone)
1462年にポルトガル人が来航し、シエラレオネ(ライオンの山)と名付けた。1808年にイギリスの植民地になった。イギリスで奴隷廃止運動が盛んになると、解放奴隷の定住地にシエラレオネが選ばれた。彼らが建設した町が首都のフリータウンである。1961年に独立。1991年からダイヤモンド鉱山をめぐって内戦が始まり、国は壊滅寸前に追い込まれた。2002年に内戦は終結。
リベリア
(Liberia)
アメリカで解放された黒人奴隷がこの地域に入植(帰還)し、1847年にリベリア(自由:Liberty)を建国した。リンカーンの奴隷解放宣言(1863年)より前のことである。首都モンロビアは、モンロー主義を唱えたアメリカ大統領ジェームズ・モンローからとった名前。キリスト教徒で英語を話すアメリカ帰りの解放奴隷たちが国を支配し、大多数の現地人を「部族民」とか「アボリジニ」と呼んで差別した。その状況は長く続き、ついに1989年から2003年にかけて2度の内戦が起きた。世界最貧国の一つになっている。
コートジボアール(Cote d'Ivoire) 15世紀にポルトガル、イギリス、オランダの貿易船が奴隷と象牙の売買に来航した。以前象牙海岸と呼ばれていた(Cote:海岸、Ivoire:象牙)。1893年にフランスの植民地となり、1960年に独立。世界最大のカカオの生産国である。
ガーナ
(Ghana)
15世紀にポルトガルがエルミナ要塞を築いて奴隷貿易を始めた。その後、金が産出し黄金海岸と呼ばれるようになった。1874年にイギリスの植民地になった。第二次大戦後、エンクルマが独立運動を指揮し、1957年に独立した。ガーナの独立はアフリカの多くの植民地に希望を与え、1960年代のアフリカ諸国の独立につながった。
トーゴ
(Togo)
かって、トーゴ、ベナン、ナイジェリアの海岸地帯は奴隷海岸と呼ばれていた。1885年にドイツ領トーゴラントとなり、第一次世界大戦後フランスとイギリスによって分割統治された。1960年にトーゴ共和国として独立した。リン鉱石が主な輸出品。
ベナン
(Benin)
1892年にフランスの保護国となり、1960年にダホメ共和国として独立した。1975年に一党独裁の共産主義国家になったが、民主化運動が高まり、1990年にベナン共和国となった。
ナイジェリア
(Nigeria)
15世紀にポルトガル人が来航。14〜18世紀にかけてベニン王国(Benin)が繁栄した。彼らはポルトガル人から銃を手に入れ、奴隷狩りを行って勢力を拡大した。ポルトガルやイギリスは奴隷の積み出し港を建設し、イギリスはベニン王国を滅ぼして植民地にした(1900年)。1960年に独立。人口は2022年現在で2.1億(世界7位)、石油の輸出は世界5位である。
中部アフリカ












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 この地域には14世紀ころにコンゴ王国が栄え、ポルトガルと対等の関係で国交を結んだ(1485年)。コンゴ王国はキリスト教国となり、積極的に欧化政策を採った。しかし、ポルトガル商人が奴隷貿易を始めると対等な関係は崩れ、ポルトガルの属国となった(1568年)。

 ポルトガルは新たな奴隷の供給地を求めて南に進出、1575年にアンゴラを植民地にし、奴隷の積出港ルアンダ(Luanda)を建設した。ポルトガルの支配に抵抗したのが北アンゴラのンドンゴ王国である。この王国のンジンガ女王(Queen Nzinga)は数十年にわたってポルトガルと戦い、一時はオランダと同盟を結んで戦った。しかし、彼女が亡くなるとンドンゴ王国はポルトガルに征服された。


ポルトガル総督(左)と交渉するンジンガ女王(中央)
ポルトガル総督は女王を見下し椅子を用意しなかった。彼女は召使を椅子にしてその背中に坐り、対等の立場で交渉した。

カメルーン
(Cameroon)
1470年にポルトガルが来航し、1870年代にドイツ帝国が進出し植民地とした(1884年)。第一次世界大戦後、北西部がイギリス、東南部がフランスの委任統治領となった。1960年にカメルーン共和国として独立した。
中央アフリカ(Central African Republic) 1887年にフランスが植民地化し、1960年に中央アフリカ共和国として独立した。独立直後からクーデターが多発し、現在も武装勢力との抗争が続いている。
赤道ギニア
(Equatorial Guinea)
1472年にポルトガル領となり、1778年にスペインに割譲された。1968年に赤道ギニア共和国としてスペインから独立。主な輸出品はカカオ、コーヒーと石油である。
ガボン
(Gabon)
1470年にポルトガル人が渡来し、17世紀になるとフランスが進出してきた。ベルリン会議でフランスの植民地となり、1960年に独立した。産油国で国民所得は高い。
コンゴ共和国
(Republic of the Congo)
1880年にフランスが進出しベルリン会議でフランスの植民地となった。1960年にコンゴ共和国として独立。石油が主な輸出品でOPECにも加盟している。
コンゴ民主共和国(Democratic Republic of the Congo) 1885年にベルギー国王レオポルト2世の私有地となり、その後ベルギー政府が国王から買い取った。1960年にコンゴ共和国として独立したが、すぐに内乱が始まった(コンゴ動乱)。1971年に国名がザイール共和国になり、1997年に現在のコンゴ民主共和国になった。金、銀、プラチナ、ウランなど豊富な鉱物資源に恵まれている。ちなみに広島と長崎に落とされた原爆にはコンゴ産のウランが使われた。
アンゴラ
(Angola)
1575年にポルトガルが植民地にした。1961年にアンゴラ独立戦争が始まり、1975年に独立した。独立後内戦が始まり、各国が介入して東西冷戦の代理戦争になった。2002年に内戦終結。石油やダイヤモンドなどの資源に恵まれ経済は回復した。アンゴラうさぎ(Angora Rabbit)とアンゴラ共和国(Angola)とは無関係。
東アフリカ










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索引



各国の歴史

 ソマリア南部からモザンビークまでのアフリカ西海岸にはアラブ人が定住し、イスラム商人と交易する町、モガディシュ、マリンディモンバサ、キルワなどが栄えた。住民たちはイスラム教を信仰し、共通語のスワヒリ語を話した(スワヒリ文明)。

 明の永楽帝は東南アジアやインド洋に関心を示し、鄭和の大艦隊を派遣した。艦隊は7回にわたってインド洋を航海し(1405〜1430年)、東アフリカにも何度か来航した。1498年にはポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を回って東アフリカにやってきた。彼はマリンディで水や食料を補給し、水先案内人イブン・マージドを雇ってインド航路を開拓した。1586年には少年遣欧使節がヨーロッパからの帰国途上にモザンビークに立ち寄っている。

 16世紀にはポルトガルが東アフリカ沿岸を支配した。17世紀になるとアラビア半島のオマーンがポルトガルを追い出し、ザンジバルを拠点に東アフリカ沿岸を支配した。19世紀になってスエズ運河が開通するとイギリスやドイツが進出してきた。


モンバサに残るポルトガルの砦フォート・ジーザス

ケニア
(Kenya)
古くからアラブ人が沿岸部に定住し、モンバサやマリンディなどの町を建設した。16世紀にポルトガルが、その後アラブ人が奴隷貿易や象牙貿易を活発に行った。19世紀になるとオマーン帝国やイギリス、ドイツが進出し、1920年にイギリスの植民地になった。第二次世界大戦後独立闘争(マウマウ団の乱)が始まり、1964年にケニア共和国として独立した。
ウガンダ
(Uganda)
ドイツとイギリスがこの地域の領有をめぐって争ったが、1894年にイギリスの植民地となった。1962年にウガンダ共和国として独立した。
ルワンダ
(Rwanda)
19世紀末にドイツの保護領となり、第一次世界大戦後ベルギーの委任統治領となった。ベルギーは少数派のツチ族を優遇し、これが民族紛争の火種となった。1962年にルワンダ共和国として独立したが、ツチ族とフツ族が争うルワンダ紛争が始まり、1994年にはルワンダ虐殺で80万もの民間人が殺害される事件が起きた。紛争は2000年に入ると収束し、その後急速な発展を遂げている。
ブルンジ
(Burundi)
ルワンダと同様にドイツ領からベルギー領になり、1962年にブルンジ共和国として独立した。独立後ツチ族とフツ族が争い内戦になったが、2009年に和平した。
タンザニア
(Tanzania)
1885年にドイツの植民地になり、第一次大戦後イギリス領となった。1961年に大陸部のタンガニーカとして独立するが、島嶼部のザンジバルと合併してタンザニア連合共和国となった(1964年)。タンザニアにはビクトリア湖やキリマンジャロ山がある。キリマンジャロ・コーヒーの産地。
マラウイ
(Malawi)

ザンビア
(Zambia)

ジンバブエ
(Zimbabwe)
この地域は19世紀末にイギリスの植民地となり、第二次世界大戦後ローデシア・ニヤサランド連邦という半独立国になった。しかし、白人中心の政権運営に圧倒的多数の黒人が反発し、1963年に連邦は解体した。ニヤサランドはマラウイ共和国、北ローデシアがザンビア共和国として独立した。南ローデシアは白人政権のローデシア共和国になったが、黒人側が反発し内戦になった(ローデシア紛争)。1980年に内戦は終結し、黒人国家ジンバブエ共和国として独立した。ジンバブエは2003年にイギリス連邦を脱退している。ローデシアとはセシルローズの名前に由来している
モザンビーク
(Mozambique)
16世紀初頭からポルトガルの植民が始まり、17世紀半ばにポルトガルの植民地となった。1975年にモザンビーク人民共和国として独立、内戦後モザンビーク共和国となった。
南部アフリカ (Southern Africa)








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 イギリスはケープ植民地をオランダから奪い、ボーア戦争で勝利してイギリスの自治領南アフリカ連邦を作った。ナミビアはドイツの植民地になったが、第一次大戦後にで以外の南部アフリカはイギリスの支配下に入った。ナミビアはドイツの植民地だったが、第一次大戦後南アフリカ連邦の委任統治領に南アフリカ連邦の委任統治領となった。

【セシル・ローズ(Cecil Rhodes)】南アフリカの鉱山王。オレンジ自由国のダイヤモンド鉱山、トランスヴァール共和国の金鉱山を独占して巨万の富を得た。


南アフリカの首都プレトリア(Pretoria)

ボツワナ
(Botswana)
1885年にイギリスの保護領となり、1966年にボツワナ共和国として独立した。翌年にダイヤモンド鉱山(オラパ鉱山)が発見され、経済発展の礎となった。政情は安定していて、独立以来クーデターや内戦は一度も起きたことがない。
レソト
(Lesotho)
ボーア人のグレート・トレックが始まるとイギリスの保護を受けてオレンジ自由国と戦った。1869年にイギリス保護領になり、1966年にレソト王国として独立した。
ナミビア
(Namibia)
1884年にドイツの植民地となり、第一次大戦後に南アフリカの委任統治領となった。1946年に国際連盟が解散すると南アフリカは勝手にナミビアの併合を宣言した。1966年からナミビア独立戦争が始まり、1990年にナミビア共和国として独立した。
エスワティニ
(Eswatini)
ボーア人のトランスヴァール共和国ができるとその保護国となり、ボーア戦争後イギリスの保護国となった。1968年にスワジランド王国として独立し、2018年にエスワティニ王国に改名した。
南アフリカ
(Republic of South Africa)
ボーア戦争後の1910年に南アフリカ連邦ができた。南ア連邦はボーア人を中心とする少数の白人が、黒人を強権的に支配するアパルトヘイト政策(apartheid)をとった。1961年、イギリス連邦から脱退し、南アフリカ共和国となり、1991年にデクラーク大統領がアパルトヘイトを撤廃した。1994年に全人種が参加する選挙が行われ、黒人のネルソン・マンデラが大統領に選ばれた。マンデラとデクラークはノーベル平和賞を受賞した。
大西洋の島国

 大西洋の島国は、大航海時代を築いたポルトガルとスペインの植民地になった。カナリア諸島は現在もスペイン領だが、セネガル沖のカーボベルデとガボン沖のサントメブリンシべはポルトガルから独立した。


カーボベルデのサン・ヴィセンテ島

カーボベルデ
(Cabo Verde)
カーボは「岬」、ベルデは「緑」の意味。国名は「緑の岬」だが島国で、実際のヴェルデ岬は対岸のセネガルにある岬。15世紀にポルトガルが発見し、奴隷貿易の中継基地になった。1975年にポルトガルからカーボベルデ共和国として独立した。
サントメブリンシべ(Sao Tome and Principe) サントメ島プリンシペ島からなる国で、1471年にポルトガル領となった。サントメとはキリスト教の12使徒の一人聖トマスのことで、ポルトガル人がこの島にやってきたのがトマスの日(12月21日)だったため、その名が付けられた。プリンシペはポ ルトガル語で王子の意味で、この島でサトウキビ栽培を始めたポルトガル王子の名に由来している。1975年にポルトガルから独立した。
インド洋の島国







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 インド洋の島国は、ほとんどがフランスの植民地だった。レユニオンは現在でもフランス領だが、セーシェルとモーリシャスはナポレオン戦争後のパリ条約(1814年)でイギリス領になった。


セーシェル諸島

マダガスカル(Madagascar) マダガスカル島は、日本の1.6倍の面積を持つ世界で4番目に大きな島である。19世紀にマダガスカル王国ができたが、1897年にフランスが植民地にした。第二次世界大戦中に日本海軍とイギリス海軍がこの島で戦っている。1960年にマダガスカル共和国として独立した。
セーシェル(Seychelles) 1502年にヴァスコ・ダ・ガマが発見、当時は無人島だった。1742年にフランスが進出し、当時の首相の名前セーシェルをこの島の名前にした。1794年にはイギリスが占領し、パリ条約でイギリス領になった。1976年にセーシェル共和国として独立した。
コモロ
(Comoros)
10世紀ごろにアラブ人が移住しイスラム化が進んだ。1841年にフランスの保護領となり、1975年にコモロ共和国として独立した。しかし政治は安定せず、1978年にコモロ・イスラム連邦共和国となり、2001年に現在のコモロ連合になった。
モーリシャス(Mauritius) 1638年にオランダがインド航路の補給地として植民地にした。島の名前はオランダ独立戦争を戦ったウィレム1世の次男マウリッツ(英語読み:モーリシャス)の名前を付けた。しかし、オランダは植民地経営に失敗して撤退(1710年)、その直後にフランスが進出したが、ナポレオン戦争中にイギリスが占領した。1968年にモーリシャス共和国として独立した。
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【参考資料】
新書アフリカ史 宮本正興、松田素二 講談社現代新書